Saturday, March 24, 2012

出会った言葉

日本は、伝統を大切にしてなかなか変わらない保守的国家である。
しかし、ひとたび変化を成すとなれば、明治維新のようにダイナミックに変化する。

人生はひとつのチャンス 人生から何かを掴みなさい。
人生はひとつの美。人生を大事にしなさい。
人生はひとつの喜び。人生をうんと味わいなさい。
人生はひとつの挑戦。人生を受けてたちなさい。
人生はひとつの責任。人生をまっとうしなさい。
人生はひとつのゲーム。人生を楽しみなさい。
人生は富。簡単に失わないようにしなさい。
人生は神秘。そのことを知りなさい。
人生は悲しみ。それを乗り越えなさい。
人生は冒険。胆に挑みなさい。
人生は幸運。その幸運を本物にしなさい。
人生は掛け替えのないもの。壊してしまわないようにしなさい。
人生は人生。立ち向かいなさい。
マザー・テレサ

人は一人では生きられないが
一人で生きようとすることによって強くなれる。

この世を動かす力は希望である。
やがて成長して果実が得られるという希望がなければ
農夫は畑に種をまかない。
マルティン・ルター

明日について心配するな
今日何が起きるかさえわからないのだから。

生きることの最大の障害は期待を持つという事であるが、
それは明日に依存して今日を失う事である。
運命の手中に置かれているものを並べたて
現に手元にあるものは放棄する。
君はどこを見ているのか、どこに向かって進もうとするのか
将来の事はすべて不確定のうちに存する。
今直ちに生きなければならぬ。

朝顔は、朝日に反応して咲くのではない。

花を咲かせるには、夜の適度な寒さと適度な暗さも必要なのだ。

人生においては何事も偶然である。
しかし、また、人生においては何事も必然である。 
このような人生を我々は運命と称している。
もし、一切が必然であるなら運命というものは考えられないであろう。
だが、もし、一切が偶然なら運命というものは
また考えられないであろう。
偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味を持っている。
故に人生は運命なのである。
もし、一切が偶然のものであるなら希望はありえないであろう。
だが、もし、一切が必然のものであるなら
また希望はありえないであろう。
三木清

貴方が生まれた時、貴方は泣いて、周囲は笑っていた。
貴方が死ぬ時は、周囲が泣いて、貴方は笑えるようにしなさい。

世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。
世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです。
世の中で一番みじめなことは、人間としての教養のないことです。
世の中で一番醜いことは、他人の生活を羨むことです。
世の中で一番美しいことは、全てのものに愛情を持つということです。
世の中で一番尊いことは、人の為に奉仕して決して恩にきせないことです。
世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです。
世の中で一番素晴らしいことは、感謝の念を忘れないことです。 
福澤諭吉 心の訓

ほかならぬこの目的のためには
今日という日がただ、一度限りで二度とは来ないことを
絶えず肝に銘じておくがよかろう。
ところが、我々は、今日という日が明日もまた来るように思っている。
明日はまた明日で、一度しか来ない特別な一日なのである。
他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。

世界には、君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない、ひたすら進め。
ニーチェ 
『つよさ』とは、他人に打ち勝つことでなく
自分が傷つくことをいとわないことだ。

今日を頑張れないやつに、明日を語る資格はない。

夢なくして 目標なし
目標なくして 希望なし
希望なくして 努力なし
努力なくして 成就なし
成就なくして 喜びなし
そして喜びは楽しみになる。
自由になる為の一番の近道は、自分の感情を感じる事だ。

夢が破れるのは問題ではない。
夢が持てないことが問題なのだ。

明日はなんとかなると思う馬鹿者
今日でさえ遅過ぎるのだ。
賢者はもう昨日済ましている。 

1つのドアが閉まるとき、別のドアが開く。
しかし、閉まったドアをいつまでも残念そうに見つめているので
開いているドアが見えないことがよくある。
アレクサンダー・グラハム・ベル

今まで十分に辛い思いはした。

今まで十分に恐れた。
今まで十分に震えた。
今まで十分に怖じ気づいた。
今まで十分にいじけた。
拒否されることを恐れるだけ恐れて、
歓迎される自分を味わうことなしに死んでいくことはないではないか。
今まで十分に眠れぬ夜は過ごした。
もうぐっすり眠れる夜を持っていいではないか。
今まで、よい人と言われるために、十分に他人の期待することだけしてきた。
今まで十分に、従順に生きてきた。
そして何の報酬もなかった。
それは、決して勝つことのないゲームに参加しているようなものだった。
他人の期待に従うことだけを目標に生きてきて、それでいつも拒否されることに怯えている。
決して勝つことのないゲーム、そして常に自分を評価し判断する世界。
人々はいつでも自分を評価しようとしている。
そんななかで十分に自意識過剰になり、十分に苦しんだ。
他人に十分に支配されてきた。
常に自分を低く評価しようとしている人とは、十分につきあった。
可愛がってもらいたくて、十分に静かに生きてきた。
可愛がってもらいたくて、自分の意向は十分に捨ててきた。
そしてその結果として得たものは何であったか。
そう、それは神経症であった。
それが古い台本に従って生きてきたあなたの結末ではないか。
それでも直、貴方は古い台本に従って生きようというのか。
新しい台本に従って、熱い人生を生きてみようとは思わないだろうか。
生きようと思えば生きられるのだ。
現在失業中、または劣悪なブラック企業で働いておられる方へ
絶望に憑りつかれた毎日を送ってはいないだろうか?
絶望は精神状態をうつ状態にし、家庭内も真っ暗になる・・・
特に40歳過ぎの中高年になれば就職または再就職は確かに厳しい。
しかし厳しいが100%道を閉ざされたわけではない。
余りに狭い門だから自分または家族に対して『中高年の就職は絶対無理!』と宣言し、かつそう思い込みドロップアウトしていく人間がいかに多いか。
道は僅かな広さではあるが開いているのである。
そこをどの様にしてすり抜けるか?
そこをすり抜けるには現在の自分の地獄の思いを受け入れる必要がある。
自分は今、不幸だ・・・と
しかし、現在が人生の終着駅ではないのである。
(勿論、絶望に憑りつかれた人は現状が終着駅になる)
劣悪な企業に勤めている人にとってもいろんな場所で人と出会いがあるだろう。
その際も絶望に憑りつかれているなら”負のオーラ”を相手は感じ、貴方に魅力は感じず何も進展は無いと思う。
さもなければ引き抜きもあるはずだ。
いつか回ってくるチャンスを逃すか、摑まえるかは貴方の日常のものの考え方によるものが非常に大きい。

何度も何度も不採用通知が届いても、劣悪企業で劣悪な環境で仕事をしていても絶望に憑りつかれず、屈強な意思で希望を持ち続けて前向きに進めば絶対どこかに辿り着ける。
しかし、私が思うにそのような”屈強な意思”を持った中高年は求職者の5%もいないかもしれない。絶望という貧乏神に憑りつかれ、不幸な人生で終わってしまう人がどれだけ多いことか・・・。
現状を打破するには気概が必要だ。

涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。
ゲーテ

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